映画レビュー「葛城事件」

どうもメンマです。

今日も映画レビューしていこうと思います。

映画レビューをしようと決めてから映画を見るのが進みました。

昔は映画は楽しんでみてたのですが最近は、面倒くさくなることが多くて・・・

でもこうやって発信すると決めたからにはしっかりと見ようと思ってます。

いつまで続くかわかりませんが頑張っていきます。

さて、今回の映画は「葛城事件」です。

「THE SHAMPOO HAT」の赤堀 雅秋さんが脚本と監督を務めています。

2013年 にザ・スズナリという劇場で行われたTHE SHAMPOO HAT第28回本公演『葛城事件』がもとになっており、その当時の脚本からさらに発展させた内容です。

舞台作品の映画化となると、三浦大輔さんの「愛の渦」や山内ケンジさんの「トロワグロ」のように、舞台ならではでの同一視点というか、会話する場所が限定的になる場合が多いです。

しかし、この「葛城事件」では、会話の起こる場所が家の外でも行われており、多様なシーンが見られました。これは、赤堀雅秋さんの映画への理解が現れていると思います。

映画と演劇は根本から違うと私は思っているので、このように映画と演劇の両方で成功を収めている人はやはりすごいと言わざるを得ないですね。

とはいえ、今回の作品のなかでは演劇の要素もいくらか含まれていました。

今回は演劇と映画の根本的な違いをおさえながら映画を見ていきましょう。

そもそも演劇と映画の違い。

演劇と映画の違いというといろんな意見があるとおもいます

よく演劇のセミナーなどで語られるのは、映画には枠があり、演劇には枠がない。と言われます。というのは、映画はカメラが自由自在なため、見せたいものを大きく映し、いやでも観客に見せることができます。それに対して、演劇は観客が自由に見る場所を決めます。そのため、無理やり枠を決めて見せるということができないのです。

ですから、演劇の脚本を書く人は観客にどのように見せるかを考えることが多いです。

そして、もう一つ大事だと思うのは、舞台脚本では想像力を広げる動きが多いということで、映画は逆に狭める動きが多いということです。

演劇は舞台がシンプルで必要最低限のもの以外はありません。

そのため、あるシーンを見ても、そこにないものやあるいは舞台の外にあるもの関しては想像をするしかありません。

しかし映画はどうでしょうか、映画の撮影は実際の場所で行われるためそこにあるものは全て映り、季節も天気もその家の状況もまるわかりです。

もちろんピントを外してぼかしたりはできるのでしょうが、それも隠すという作り手の恣意性がばれてしまいます。

このように、映画は想像力を狭め、演劇は想像力を広げる傾向にあります。

もちろん、映画でも想像力を広げる部分もあるし、演劇も想像力をあえて閉じさせることもあります。

どちらがいいというわけではなく、そのような傾向があるということです。

葛城事件のおもしろさ

そのような特徴を踏まえたあとで葛城事件をみると、小劇場の演劇出身の赤堀さんならではの表現の仕方がありました。

それは、多くを語らないということです。

映画のレビューを見ていると、何を伝えたいのかわからないや、何のメッセージもないというものがいくつかありました。

これは半分は適切な表現だと思います。

というのも観客に想像をゆだねる演劇では、特定のメッセージをもつものは少なく、観客側の経験や思想によって感じるものが変わってきます。

この葛城事件では作者の思想は見えない分、強烈な”事実”が示されます。

おおまかなストーリーラインとしては、葛城家の崩壊を描いており、大黒柱の葛城清は乱暴でDVも日常。悪質なクレーマー気質で一家を怖がらせます。

そんな家庭環境で育った長男保と次男稔はそれぞれ精神を病み、長男はリストラ、そして自殺。次男は引きこもり、そして連続殺傷事件の犯人となってしまう。という風に家族は無残にもバラバラになってしまいます。

作者は、この殺人事件や自殺やらに対して作者は肯定も否定もしていません。

もちろん、殺人事件に対して肯定はしないでしょうが、作中において殺人はだめだよなんていうセリフはもちろんありませんし、そのような表現もありません。

つまり、これらの判断をするのは観客なのです。

登場人物全員が狂っているなんて言われるこの「葛城事件」ですが、一体だれが一番悪くてどうしてこうなったのか、明確な答えもありません。

それは、私たちがそれぞれ判断をし、そして同じような家庭環境を生み出さないように気を付けようと自覚するのも私たち自身なのです。

垣間見えた作者のメッセージ

とはいうものの、「葛城事件」でおそらく作者の伝えたいことが見えた場面がありました。

それは”選挙”のシーンです。一度見たことがある方ならば、え?どのシーンなんて思うかもしれません。なぜなら本編のストーリーと直接的には関係がないからです。

しかし、この選挙のシーンにはとても大切な意味があると思います。

そのシーンとは物語が70分を超えたあたり、長男の保が自殺をして、保の妻と母親が誰の責任かを追及しあう場面のあと、

街頭演説をする政治家はこのように言います。

「皆さん、今こそ日本は変わるべきです。変えるのは、私ではなく皆さん方なんです。皆さん方が立ち上がれば必ず地域が変わります。そして地域が変われば日本が変わります。」

そしてそのあと映し出される地域の人の日常。

おそらく脚本・監督の赤堀さんは、このシーンをセットで描いているのではないかと推測します。

責任を押し付けあうゆがんだ家族のシーンのあとに、無責任ともとれる発言をする政治家、そして普通の人々を映すことで人は誰でも無責任で責任を押し付けあう生き物だという風なメッセージが読み取れます。

このように別々のシーンを組み合わせて一つのメッセージを描く手法をモンタージュ技法と呼ばれたりもします。

ここまではっきりとかつ素晴らしいモンタージュは久しぶりに見たかもしれません。

よかったのは、音響。

不穏な音楽を一貫して流すことによってそれぞれのシーンの間の関係性を自然と”想像”させます。

これも演劇で戯曲賞をとるほどの活躍をした赤堀雅秋だからこそのなせる技ではないでしょうか。

最後に、紹介ですがこの赤堀雅秋さんが、演劇での芥川賞とも称される岸田國士戯曲賞を取った作品が「一丁目ぞめき」です。

戯曲図書館 by 劇団かたかご

赤堀雅秋『一丁目ぞめき』の上演時間・人数人数    男5 女1上演時間 約110分受賞歴第57回岸田國士戯曲賞受賞あらす…

こちらも家族の話を描いていて、父親が死んだあと、問題児だった長男が帰ってくるという話です。雨漏りの音がいい雰囲気を出す素敵な作品です。

葛城事件とも通ずることの多い作品なので、葛城事件を気に入ったという方はぜひ見てみてください。

それでは今回は以上です。またよろしくお願いします!

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